そのドアを開けたらゾンビがいる

わかっているんだけどねぇ〜☆

映画『ムーンライト』:月の下でただただとめどない話をし続けようよ

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映画『ムーンライト』をようやく観ました。作品賞の受賞など、幸か不幸か公開前に少し斜めの角度から取りあげられることが多かった本作ですが、事前情報を最低限に留められたおかげで、あまり身構えることができないまま鑑賞できました。これは本当に良かった。

ガツンと脳天を殴られるかのような衝撃を受ける映画もあれば、トロ火でジワジワと内側から温めていってホロホロになった心をいとも簡単にほぐしてしまう映画もあります。どちらが良いというような問題ではなく。本作は後者のタイプの傑作だと思います。

観おわった後も行き着く所のない余韻がつづいています。そういったものを頭に中に思い浮かべながら声に出すなら「あぁ、良かった」の一言に変換してしまうのですが、それはあまりにふらふらと『ムーンライト』のもつムードに、まさにその明かりの下にいたいという感覚に近く、だから感想と言うよりはただただ反芻するようなことを続けています。

控えめに言っても、はたしてこの先に光が見えるのだろうかという厳しい現実を、月の明かりの様に色彩の美しさと温もり溢れる優しさで見守りながら映画はじっくりと進行します。

マハーシャラ・アリ扮するフアンが登場する冒頭、彼が乗っている車や流す街並みからだいたいどんな職業かは少なくともわかります。その長回しで浮かび上がる光景はどこか、想定し得る不穏な状況に反して不思議な穏やかさが感じられ、この先の2時間弱をこの不穏と穏やかさの両方の気配を感じながら過ごさなければいけないこととなります。

続いてあらわれる主人公の少年シャロンは「リトル」というあだ名で呼ばれるいじめられっ子で、そのニックネームはそのままチャプタータイトルに掲げられ、本作の進行がいくつかのチャプターで区切られるものだと知ります。いろんな情報が過剰にならずゆっくりと観客に伝えられるリズムが身体を無理なく温めていくのを感じます。

私が事前に知っていた情報は、アカデミー賞の受賞と、テーマにゲイであることが関わりその関係で映画『ブエノスアイレス』へのオマージュがあるという程度のものだったので、どの段階でどう表現されるのかはわずかに気にかけてはいましたが、そういったことも決してせかされることなく自然と伝えられました。むしろ、ゆったりしたカメラの動きが先を知りたいこちらの気持ちを制するかのようです。

母親はヤク中でシングルマザー、厳しい家庭環境が背景として浮かび上がるにも関わらず、リトルは常に物静かです。家に帰るとラリった母親がいる、そのことがリトルの足を家から遠ざけ、自然とフアンの元へと運ばせます。見たくない姿、受け入れ難い現状に直面した時だれでもそうするようにリトルも現実逃避を起こします。音がスッと遠ざかっていき頭がボンヤリしていく感覚は、映画だと分かっていてもツラくいたたまれないものです。ここでのナオミ・ハリスの迫力もたまらないもので、私も家に帰りたくなくなった。

 

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厳しいからこそ感情を押し殺す静けさでもあるその姿にフアンが何を感じたのか、それは明らかにされはしません。それどころか、ドラッグディーラーという、リトルが閉じ込められている環境を作り出した一員とも言える存在であるはずのフアンの言動もユニークで、常に父性ともいえる大きな包容力を感じさせながらリトルに寄り添います。リトルといる時のフアンには、職業柄のヒリヒリとした殺伐な空気が漂うことは無く見えます。そんなドラッグディーラーなんてあり得るだろうか、という違和感もまたある種のファンタジーのような魅力です。

2人の口数少ない親交の中でも最も濃厚な時間と思われる海のシーンでフアンはリトルに泳ぎ方を教えます。海に身を任せる事を伝えるその光景はまるでキリスト教の浸礼のようで、与える男フアンにとってもピークレベルでリトルに愛情を注いでいるように見えました。

一方的にリトルを庇護し、時にはリトルの母親にすら対峙するフアンの行動の根拠は見えないままですが、ある種の贖罪のように感じられてなりません。

 

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登場時間としてはそれほど長くはないフアンの存在は、フアンを失った彼のパートナーのテレサ(やったー!ジャネール・モネイだー!)の存在も借りて、その後成長していくシャロンにずっと寄り添うようにムードを残します。海外ドラマファンにとっては『ハウス・オブ・カード 野望の階段』でお馴染みのマハーシャラ・アリが助演男優賞を受賞したと聞いた時はまだ『ムーンライト』がどんな映画か知らなかったので、かなり意外でした。直近で彼を観たのはマーベルの『ルーク・ケイジ』で、その中でステレオタイプではないヴィラン(と言ってもいいのか?)を貫禄たっぷりに演じていましたが、賞レースに出てくるようなイメージは持っていませんでした。しかし本作での演技、観おわった後もなお余韻に包まれるフアンの穏やかな表情は最高だし、それこそが自身が亡くなった後もどこかリトルを見守っているような存在感だなぁ、と感嘆しました。スゴい。

第二のチャプター「シャロン」が始まって、このストーリーがリトルことシャロンの成長を足早に追っていくものだとわかると、リトル、シャロン、そして彼の唯一の親友であり気持ちを寄せる相手がつけてくれたあだ名のブラックと成長していく過程での3人の役者のスムーズなリレーに溜息が漏れます。それこそがポスターなどのあのイメージ(初見で3人が合成されていると気づかなかった!)に直結していたんです。

この第二のチャプターで主人公シャロンに大きな事件が起きて物語が折り返すことになります。
フアンを失いその孤独度合いがより増したシャロンの日々において、初恋の相手となるケヴィンとの交流は10代の彼らを取り巻く現実的な残酷さゆえにささやかなものにならざるを得ない。だからこそケヴィンを前に「泣きすぎて、自分が水滴になりそうだ」と初めて心情を吐露できたシャロンのセリフにはとんでもなく感情を揺さぶられました。環境や状況を越えて普遍的な響きがそこにはあったように思います。2人の気持ちが通じ合ったことにも、あの暖かな光とともにたまらなく癒されました。

 

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だからこそ起きてしまった事故としか言いようのないケヴィンの裏切りにもシャロンは黙したでしょうし、その上で、押し殺しようの無い静かな怒りはついに今までずっと我慢し続けてきたシャロンから溢れてしまった。主犯格テレルを襲撃するために教室に向かうシャロンの静かな怒りの震えるような表現に声を失います。起きていること自体はショッキングなのですが、過剰に煽ることのない演出はなおさらシャロンの怒りの深さを感じさせられます。

 

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第三のチャプターで、その後のシャロンはまさかのフアンの生き写しのようなドラッグディーラー「ブラック」となっています。なんという因果でしょう。その様は、そんな世界に属していながらもフアン同様どこか修道士のような浮世離れを感じさせますが、同時にこの時点でわずかなハッピーエンドへの望みも消えてしまった、と落胆してしまいました。生きるために成り上がった姿だとしても、どうしても光を感じることが出来なかった。

 

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そこにわずかにささやかに差す光は更生した母の姿であり、ケヴィンからの電話です。困惑するスクリーンのブラックことシャロンを尻目に蜘蛛の糸のようなケヴィンとの再会に諦めかけたハッピーエンドを渇望しました。「どうにか救済を与えて欲しい!」とそれがピークを迎えた時、映画が終わりました。なんという絶妙なタイミングだろう!

この先のシャロンを見守ることは出来ない。行き場がなくなってしまったのでどうしようもなくまたオープニングにもどって余韻を味わうしかなかったし、まとまることもない感覚がこうやってただただ溢れてくるのです。

ムーンライト

ムーンライト

 

 

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